物の価値は物と自分との関係であるという話

キャラソン集とOPED集買ったのが届いた、今までもキャラソンは買ってたのだけどそれとはまた別のやつ。

発売から1~2年経ってなぜ今更買ったのかというと、それは多分1~2年経ったからだと思う。アニメはアニメで要所要所でOPなりEDが変わっていき「あーこれは本編があの辺のときの曲だ」というのが思い起こされそれはそれで感慨深いものがあるのだけど、並行してイベント参加していた身としてはイベント会場で流れていたという積み重ねも大きい。そういう意味では曲を純粋に楽しむ目的というよりは、思い出による付加価値にこそ真に価値があり、それを思い出すための装置が音楽なのだといえるかもしれない。

過ぎ去ってしまったもの、もう戻らないもの、二度と手に入らないものとは、なぜこうも魅力的なんだろうと思う。音楽に経年劣化はないから、思い出と結びつきが強い。昔と同じ気持ちになろうとして思い出の曲を聞いても、結局は「もう昔とは違うんだ」と思い知らされて、皮肉だ。それなのに音楽を買ってしまった、自分のやってきたことを無駄だと思いたくないから買ってしまった、お金を出して買ってしまった。なんなんだろう、よく考えたら、すごく滑稽なことなんじゃないか。

間違えた、こんな暗いこと書くつもりじゃなかったのに。今日は外では雨が降っている静かな休日で、昨日「この人私のこと嫌いなんだろうな」となんとなくずっと思ってた人がその根拠になりうる言動を2、3してきてザワザワしちゃって、特に仲良くなりたいんでも観察していたいんでもない他人は害さえなければどうでもいいはずなのに、そこはかとない嫌いオーラってやっぱ目立つし人に嫌われるっていいもんじゃないなあと思って、だとすると私は好かれたいのだろうかと思うとそれはそれでわずらわしいような気もする。嫌われてることが分かって「じゃあ私も嫌い」ってなるの醜いので、本当は労働なんかに精神力など使いたくないんだけど、っていうか労働なんて本当はしたくないんだけど、でもやってみるとゲームみたいでたまに面白いけど、教育の人めっちゃやさしいけど口が臭いけど、食堂の定食の付け合せの野菜が塩酸処理したパッサパサのカット野菜なの腹立たしいけど、牛タン定食食べに行きたいけど、ホテルビュッフェまた行きたいけど、スカートの布を見に行きたいけど、美術の先生とまた話したいけど、レモンのお酒作るの楽しみだけど、まずは日曜日が楽しみだけど、忍者に会ったの本当に楽しかったけど、あのお店めっちゃお洒落だったけどミニトマト2個で380円は高すぎるけど。

腱鞘炎になってしまって動かすたびにゴキゴキいってて危機感がある。そういえば昨日「ガーリー」って名前の人いたけどなんなんだろう。

暇って状態、多分すごくクリエイティブなので暇な時間を設けていきたい、pcとかずっとやってちゃいけないと思う。