食欲に直結事案

人と対立するとお互いストレスがかかり嫌な思いをするのだが、例えば感情的にならないとか相手を尊重しながら妥協点を探るといった方法がよくあり、これは暴力等に比べて平和的であるとされる。論理的に話し合うということは感情を無味乾燥の型に変換してから考えるということで、なんだか流れ作業感あるなと思った。相手を尊重しているように見えて、実は相手そのものを思考の外へ追いやっているような感じ、安全圏へ避難させているとも言えるけどどっちなんだろう。私は断然感情抜きの話し合いで解決したい性質なのだけど、相手がそれを望んでいない場合(それがいいと気付いていない場合)かなり辛い思いをする。もっと言うと、いくら大きい声を出そうが怖い顔をしようが、それはトラブルの本質とは全く関係ないという考えの足りなさが露呈していることになるのだけど、感情的になる人からするとこの頭にくる感じを実感として分からないなんておかしい、この感情を汲み取る感性の無さ、情緒がない、ことさら頭にくる、悪循環、みたいな感じだろう。こっちの気持ちも分かるんだ。というかその精神攻撃は既に普通に効いている、すげー効いてる、正直かなり堪えてる、その口を封じてやりたい。それをしないのはひとえに己の自尊心や信条の類で、堪えるとかなりの経験値(自尊心の高まり)をもらえるからだ。相手をねじ伏せるなんて、後で後悔するのが目に見えてる、そしてその虚しさも。性格によるけど。つまりどちらの立場も理解していたほうがいいという毎度お馴染み使い古しの決まり文句に結局は帰結するのであって、せめてもの提案として学校の道徳の授業でこういう話し合いをさせてほしいと思った。