一個人に対する粘着質な思いの丈

一週間以上経つというのにコミケ前日の食事のときのことやコミケ当日のことが引っかかってしょうがないのは、日常的に他人と関わっていないためいつまでも古い記憶が更新されず表層を漂っているから、という線が濃厚だと思われる。思われるけど腑に落ちない。

お金を多めに渡して買い物を頼んで、「それをきちんと遂行してくれたら私の本(ほしければ)渡すね」的な約束で実際に買ってきてはくれたんだけど、明らかに本の代金より多分800円ほど少なくて(事前にwebで値段を知らせてくれてないサークルさんもあるためおおよそ)「おや?」と思うもスペースであまり話し込んでいたくなかったから自分の本渡して代金900円もらって終わったんだけど、よく考えたら金銭面での大損失はないものの精神的負担はこちらが大きい気がする。相手は言われた通りに買い物をして、無償でいいはずの本の代金まで払いすごくいい気持ちになっているはずなのに対し、私はそもそもどの本にいくらかかったのか不明でされるがまま、あげると言っていた本の代金までいただいちゃってもう本当にすみませんねといった具合で、あとでじわじわダメージがくる。「どく」みたいな状態だと思う。私がお金に関してはきっちり聞けば上手くいった可能性が極めて高いのが悔しい。残りのお金を渡されたとき、「4冊で2000円もかかりましたか?」と聞けばよかった。そしたら犯人は事の真相を話してくれたかもしれない。

以上を踏まえた上で私の推理は、多分自分の財布と私の持たせた金でサークル毎にきっちりやりくりするのは面倒だったため(欲しい本がかぶっていたかもしれないし)、その辺なあなあになってしまい「まああとで集計すればええやろ」となったが忘れた、もしくは「800円ほど私的に使ってしまったけど本をもらわず金さえ払えばええやろ」と思ったのいずれかだと思われる。

他人が自分の思い通りに動かなかったのが悪いわけではない、ここは自分でも間違えないようにしたい。だけれども、やはり他人が自分の思い通りに動くのが理想だ。他人が自分の思い通りに動かない可能性を先回りして考え、それを回避するように指示していけばいいのだと思う。しかし人を使うのは難しいし考えることがあり過ぎて疲れる、よって私はありとあらゆる手段を駆使して可能な限り他人と関わらないことにすると心に決めた。でも生涯独身は寂しい気がする。