スホ症とは吊り橋効果のこと

多数の人間を介した言伝が徐々に変容していく現象を「伝言ゲーム効果」という。伝言ゲームになりたい。伝言ゲームになって善意や無意識や低能や創造性やその他馬鹿みたいな理由で多様な解釈をされながら大勢にインプットされアウトプットされたい。嘘。私は自分のことにしか興味がない。自分のことに興味があるから他人に興味があるとも言える。背景を描くことで対象を描くみたいなこと。先日アマプラで「ラヂオの時間」を観た。良かった。生きて生活しながら作品を作ることそのものだった。大小様々な問題が起こるけど、それを全部クリアしてできたものは、ドラマだ。私はドラマチックな体験をするために絵や漫画を描いているのかもしれない。全然見返さないから。ペン入れも楽しいな。少し手を抜くことにも挑戦してみている。今までは手を抜くことが悪いことのように思えて仕方なかった。でもそれも、だんだん解消されつつある。力を抜いた、シンプルな絵に目が行って仕方ない。一番の理想は、アニメーターさんの描くらくがきかもしれない。手を抜いた状態が、本質的なもののような気がする。そういえば、人に「無理をしなくていい」とよく言われる。私は、無理をしてでもやるべきことをしていれば、成長や進歩が見られるはずだと思っていた。でも、あまりにも言われるので、「確かに、無理をしない範囲でできることをすることでできるようになることもある」と思い直した。これは、近年稀に見る大発見だった。そんなことがあるなんて思いもよらなかった。私は、どういうわけだか全力しか出したことがなかったように思う。そうして疲れたところで終わってきた。でも、力をセーブすることができるようになると、まだ見ぬ世界の幕開けである。すごい。そう思うとまた全力で頑張ってしまいそう。