太郎といったら

ちょうど一週間前から岡本太郎の著書を読んでいる。スローペースなのでまだ一冊読み切っていないが、いま読んでいる部分は「かつて素晴らしいともてはやされたものが現在も同様に素晴らしいということはない、その時代その時代の新しさこそ価値ある芸術である」的なことが書いてあると私の脳は理解した。その岡本太郎の本と一緒に、おやつ~アンソロジー~みたいな本も買っていてそれも並行して読んでいたら、「ミニチュアサイズのどら焼きをもらってそれが超可愛い、今は若者にもどら焼きが親しまれているようだ、栗入りや餅入り、果てはクリーム入りなど種類は様々…」的なことが書かれており思わず「あっ、昔の正真正銘”和”のオーソドックスなやつこそ至高なのに最近の西洋かぶれは辛抱たまらんとか続くのかな!?」とワクワクしたのだけど別段そのようなニュアンスは汲み取れず残念な思いをした。

例えば流行の服、流行の化粧、流行のグルメなど、今までなんとなく俗物みたいに思えて避けていたもの。みんなが良いって言ってる(それすら本当かどうか分からない)だけの、自分も良いと言いさえすれば仲間に入っていける曖昧でお手軽な安っぽい価値、流動的で不安定な、どうせいずれ埋もれていくものたち。そんなものに価値を見出すのは集団心理に飲まれているだけの何も考えていない証拠に思えて嫌いだったし(プライドが高いので)、むしろ自分にとって特別な、ともすれば不変の価値をもつ何かを突き詰めて考える・探していくほうがずっと有意義で素晴らしいことなんじゃないかとさえ思っていた。

しかし流行する、多くの人間が良いと感じるということは、そうさせる時代背景があったということで、それがその時代の新しさに通じているのだとしたら、つまらない意地で突っぱねる前に一度これはどこが新しいのか、今人々は何を求めているのかということを考えてみてから突っぱねて行こうと思った。

今日はかなり意識が高かった気がする。明日はバナナプリンとリッチトーストを作る(パンから)。