色より形派にとうとうなった

昔描けなかったものが描けるようになって、昔心の底からすごいと思っていた絵が大したことない絵に見えるようになった。絵は視覚だから、自分の成長も、物事の見え方も手に取るように分かる。こんな分かりやすい指標もない気がする。

平面に立体が見えるようになると上達すると言うけど、立体の見え方一つとってもバリエーション(レベル)があることが分かった。最初は人の顔に見立てた円に十字を描いたものが立体に見える程度だったけど、今は肩と手の中間に位置する肘の遠近感とか指の動き方とかが少し分かるようになった。ポーズ毎に自分の手を鏡に映したり写真撮ってもらったりしてでも描きまくった甲斐があった。あの頃はどんなに時間がかかっても完成度を上げるために、後で自分が見て絶望しないために描いた。たまに妥協したけど。でも最近は手を早くするのも必要だということが分かってきて(楽に楽しく描きたい)(「楽」と「楽しい」が同じ漢字なの一文にこの二つを入れたときのこと想定してなさそう過ぎ、「ひにち」も気になるし、「大人気ない」には「この先生きのこる」感ある)、下書きをブラッシュアップし過ぎないことも気を付けている。私はお菓子作りが好きでお菓子のレシピを多分毎日見てるんだけど、小麦粉を混ぜる工程のあるものは混ぜ過ぎないことが鉄則で、寿司職人はネタを握り過ぎないことが鉄則で、これって下書きも同じではと思ってる。

絵も考えも、まずは頭の外に出すことが大事で、ひとたび現実世界の空気に触れるとあとは現実世界のルールに則って脳内以上のものがひとりでに広がりを持って立ち現われてゆく感覚が最近よくある。まだ技術的に未熟だったり、知識が乏しかったりして自動書記のようにはいかないけど、自分だけの楽しみのようなものが私にはあるのだという事実が噛み締められて、生きてる甲斐があると思った。脳内インタビュアーにもう何度もこの話してるけど、私の人生の最終目標は自由になることで、そのためには色んなことを知る必要があって、生きてると日々自分にも周囲にも変化はあって、都度何かを知るチャンスがあって、それを逃さないようにすることが多分一番大事なんじゃないかと思う。すごく意識の高いことを言ってしまった。でも現実世界の誰にも言ってないから許してほしい。