小4辺りでみんな自由帳を持ってこなくなる現象への怒り

安全で平和なものが一番大事なマジョリティーの方々には到底受け入れられない考えだと一蹴されるヴィジョンが既に見えているけど言わねばなるまい、私はお前らが嫌いだと。

「なにか楽しいことはないか」って口では言うくせに、そのためにできることを頭ではなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんも考えてないだからなにもしない娯楽で時間をすり潰して終わり。「じゃあ言うなよ」って怒りがすごい。あと自分からは絶対死んでもなにがなんでも発案しない。なんならそれが協調性だとすら錯覚している。「しない」ことによって得られる系カタルシスが絶大な人気を博している。楽で得だからだ。

待ってるだけで誰かが楽しいことを運んできてくれると本気で信じてるその怠惰が嫌い。というかいい年した大人がなんでそんな簡単なことさえ分からないかがわからん。本当に生きてきたの?って感じ。頭使う機会なかったの?心の底から楽しいこととかなかったの?

「だって忙しいし」「なんか夢中になれないんだよね」とか言うじゃん、忙しいは論外だからもう何も言わないけど、「夢中になれない」は「しない」とほんとうにおんなじ意味で、現象として全く同じこと。やらない理由だけはちゃんと用意してきて、客観視できてる立場弁えてる感バリバリで、ほんとうに醜い。

そういう人間って大抵、というか多分100%、その分野において下手な自覚があって、下手なことは悪いこと(自分が不利になること)だと勘違いしている実に薄っぺらい思考の持ち主だ。肥大化した自尊心。いっそ虎になればいいのに。ものごとを楽しむのに才能なんて必要ないと私は思っている。だって子供の頃は誰だって毎日楽しそうにあそんでたから。だんだん偏った物の見方に毒されて曇っていくだけなんだと思う。上手い下手より、楽しいか楽しくないか、好きか嫌いかのほうがよっぽど大事だろう。目に見えるものにとらわれ過ぎてる。自分で自分を不自由にしてることに気付かないほどの不自由。

ネオ不自由EX。

改行するほど面白くない事実が面白い。自分で「面白い」を付けるだけで私の中ではすでに面白いことになってる(町田さわ子風)。

人生においてもまったく同じことだ。自分で自分が面白くなるような伏線をモリモリ仕込んでいくのだ。回収できるとサイコー。回収できないかに見えても、自分が苦労して張った伏線ならけっこうがんばって回収しちゃうもんだ。それが人情だもの。

漫画にボコッとハマってるんだけど、設定の粗を探しては突いてるクソみたいなやつってどのジャンルにもいるでしょう。嫌いだ。完璧じゃない人間が、完璧じゃない絵や言葉や仕組みを使って、それでも時間を、心を、人生をつぎ込んで作品を作ってる。お前が見つけた粗だって、実は至る所に、この世のどこにでもあるもので、それでも我々はそれらを補って生活している。

自分が積極的に楽しむことでしか、完璧じゃない作品を自分にとって素晴らしいものにすることはできない。それは、人生も同じことなのに、という怒り。