クソッタレ社会

思ったこと書いていいですか?ブログだし思ったこと書いていいはずなんだけどどうやら私は自分に厳しく他人にも超厳しい性格のようなので(なんか指摘されたし納得)他人の醜い部分を見つけるや否や「うわあこれぜってー自分はしたくねえ…」と無意識に思い勝手に行動を制限している節があるみたい、でブログで思ったこと自由に書くのも制限してた(これでも)。

岡本太郎の本を昼休みのときだけ読むという生活を送ってきて既に読み終えたんだけど、ははあ、これ買ってよかった…。なんか服のセレクトショップの一角にお洒落文学インテリア要素のためだけに設置されたと思しき悲しき本棚があって、これを取り揃えた奴の力量はどれ程のものかな、といわば高圧的挑発的に服は一切見ずにそこだけ見てたらこれがあったわけよ…

Amazon.co.jp: 今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫): 岡本 太郎: 本

最後のほうに、生物は常に体外から新しい異物を取り込んでいかないと自分の排泄物で中毒になってしまう、みたいなことが書かれていて、これ今の私じゃんって思いましたね。新しいもの全然摂取してない(体感)、でなんか先生に相談してたら「会話が足りてないと思う」と言われ腑に落ちた。友達とかすごく欲しいですけど好き嫌い激しい自覚があるのでなんか絵や漫画で適度に距離もありつつコミュニケーション取れたらいいなあと思って、そういう動機でコミティアとかなんかイベント申し込むのもありかなあと思った…締切ないと漫画描ける気がしないというのもある、あとコミティアなら出張編集部あるしなとか。また新しい話も描きたいのでどうにかして形になるようがんばる。話考えて設定練ってネーム切るまでが一番楽しい。無意識に絵を上手く描こうとするのが苦しい。チョコレートチーズケーキとくるみパン作りたい。

 

パン最高

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ヴィエノワを作った。見た目アレだけど超美味しいんだこれが。中に挟む練乳バタークリームの練乳を作っているときの、暖かい牛乳と砂糖の香りたまらん…。

肌寒くなってきたのでパンが超美味しい。最近はホームベーカリーでただただ食パンを焼いては食べてたけど(付属レシピの砂糖と油脂とスキムミルクを倍にするやつが美味しすぎる)久しぶりにパン生地に触れて楽しかった。ほんと二次発酵の最初は小さかった生地が大きく膨らんでるとこ見るのたまらんな、愛おしい。

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シルバーウィークは超久しぶりにデッサンしていた。5年ぶりだしかなり上達しているに違いないと思ったけど間違ってもそんなことはなかった…。約6時間。

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モデルこれな。

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上手い人は書きかけもまた上手い。

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先生の。これ私の半分以下の時間で描いたんだぜ…横ですっげーシャカシャカいってんなーと思ったら…。

目的を決めたら気が進まないことでもあまり好きじゃなくてもきちんとこなしていかないといけないと思いました(高意識)。

我が絶望人生再び

気に入った画像は保存しておく癖がある。たまに整理のため見返すと、保存したときの気持ちが蘇ったり(色や光の感じが好きとか知らないけど日常っぽいとか(何の変哲もない道路や街並みの画像が妙に好き)何故かそこに自分が立ってる感じがするとか漫画に使えるとかポーズがいいとか)、保存したことすら忘れていたりして面白い。そのときは「分かる」ものだったのに、今ではもう分からなくなっていたりするとごみ箱行きなのだが、己の移ろいと哀愁を感じた。もう秋か。寒いし雨で暗いし12時間くらい寝てしまった。起きて8時くらいだと絶望してなんか微動だにせずずっと天井を見て過ごしてしまう、1時間くらい。それで気付いたらまた寝てしまって遂には11時に起きてしまう有り様。最近22時には寝ています。体を動かさないと駄目になるタイプの人間だと最近ようやく理解した。脳に血液が回らないせいだと思うけど、とにかく、憂鬱でなにもできなくなってしまい、一日何もしなかった現実にまたしても打ちのめされてしまう…。秋は色々な場所に行きたい。秋の気付いたら蝉が鳴いてないことに気付く感じが好きだ。

生み出せるものが増えるほど自由に近づく感

漫画を描き始めるには精神の余裕と安定が必須なんだけど、描き始めさえすればだんだん精神の方も勘違いしてなんだかんだ安定してくれるのでコスパいい。一か月前ほんとだめでずるずる来てたけど、猛暑が一段落して運動できるようになったり日本女子バレー見て連日落書きいっぱいしたりしたのがよかったのかもしれない、また元気に描けるようになった。話はとっっっっくにできているのでただお絵描きしてるだけみたいな感じなんだけど、あれだな、絵を描くという趣味があってよかった(定期)。線を引くという行為が快感。

他人に対する評価が結局は己の相手に対する好感度に左右されている事実たまにやるせない、虚しい感じがする。結局自分の認識の問題で、誰に何を訴えたって本当のところは伝わらないし(よく考えたらそんなことよりもっと別のこと共有したいし)、その努力そのものが卑しい感じがするのでいつもやめてしまう。私は広大な心の持ち主では全くないはずなのに外から見たときの言動はそのように見える可能性が高めで、そのギャップの嘘ついてる感が気になる。ひょっとすると潔癖に偏った考えなのかもしれないけど、たまにそういうのがすごく嫌になる。自ら選び取ってそうしてるわけじゃないからかもしれない。分からん。

正座の姿勢で描いてると普段如何に腰に負担をかけているのかがよく分かる。これはいけない、腰は体重をかけていい場所じゃない、かけるなら脚、ということで最近は立ってネットをしています。短時間になりがちでいい、何故なら目も大分悪くなったから。今後さらなる健康増進を図るならパソコンを捨てることになります。今日はココナッツバナナケーキ作ったら美味しく出来よかった。

食欲に直結事案

人と対立するとお互いストレスがかかり嫌な思いをするのだが、例えば感情的にならないとか相手を尊重しながら妥協点を探るといった方法がよくあり、これは暴力等に比べて平和的であるとされる。論理的に話し合うということは感情を無味乾燥の型に変換してから考えるということで、なんだか流れ作業感あるなと思った。相手を尊重しているように見えて、実は相手そのものを思考の外へ追いやっているような感じ、安全圏へ避難させているとも言えるけどどっちなんだろう。私は断然感情抜きの話し合いで解決したい性質なのだけど、相手がそれを望んでいない場合(それがいいと気付いていない場合)かなり辛い思いをする。もっと言うと、いくら大きい声を出そうが怖い顔をしようが、それはトラブルの本質とは全く関係ないという考えの足りなさが露呈していることになるのだけど、感情的になる人からするとこの頭にくる感じを実感として分からないなんておかしい、この感情を汲み取る感性の無さ、情緒がない、ことさら頭にくる、悪循環、みたいな感じだろう。こっちの気持ちも分かるんだ。というかその精神攻撃は既に普通に効いている、すげー効いてる、正直かなり堪えてる、その口を封じてやりたい。それをしないのはひとえに己の自尊心や信条の類で、堪えるとかなりの経験値(自尊心の高まり)をもらえるからだ。相手をねじ伏せるなんて、後で後悔するのが目に見えてる、そしてその虚しさも。性格によるけど。つまりどちらの立場も理解していたほうがいいという毎度お馴染み使い古しの決まり文句に結局は帰結するのであって、せめてもの提案として学校の道徳の授業でこういう話し合いをさせてほしいと思った。

絶望

上手く描きたさと早く描きたさが合わさると描きなくなさになってしまう。下手でも雑でもたくさん描いた方がいいんじゃないか?上手い落としどころを見つけないと最終的に漫画が嫌になって路頭に迷って精神を病み病気になって死ぬ。

太郎といったら

ちょうど一週間前から岡本太郎の著書を読んでいる。スローペースなのでまだ一冊読み切っていないが、いま読んでいる部分は「かつて素晴らしいともてはやされたものが現在も同様に素晴らしいということはない、その時代その時代の新しさこそ価値ある芸術である」的なことが書いてあると私の脳は理解した。その岡本太郎の本と一緒に、おやつ~アンソロジー~みたいな本も買っていてそれも並行して読んでいたら、「ミニチュアサイズのどら焼きをもらってそれが超可愛い、今は若者にもどら焼きが親しまれているようだ、栗入りや餅入り、果てはクリーム入りなど種類は様々…」的なことが書かれており思わず「あっ、昔の正真正銘”和”のオーソドックスなやつこそ至高なのに最近の西洋かぶれは辛抱たまらんとか続くのかな!?」とワクワクしたのだけど別段そのようなニュアンスは汲み取れず残念な思いをした。

例えば流行の服、流行の化粧、流行のグルメなど、今までなんとなく俗物みたいに思えて避けていたもの。みんなが良いって言ってる(それすら本当かどうか分からない)だけの、自分も良いと言いさえすれば仲間に入っていける曖昧でお手軽な安っぽい価値、流動的で不安定な、どうせいずれ埋もれていくものたち。そんなものに価値を見出すのは集団心理に飲まれているだけの何も考えていない証拠に思えて嫌いだったし(プライドが高いので)、むしろ自分にとって特別な、ともすれば不変の価値をもつ何かを突き詰めて考える・探していくほうがずっと有意義で素晴らしいことなんじゃないかとさえ思っていた。

しかし流行する、多くの人間が良いと感じるということは、そうさせる時代背景があったということで、それがその時代の新しさに通じているのだとしたら、つまらない意地で突っぱねる前に一度これはどこが新しいのか、今人々は何を求めているのかということを考えてみてから突っぱねて行こうと思った。

今日はかなり意識が高かった気がする。明日はバナナプリンとリッチトーストを作る(パンから)。