2015はクリアだけど2016はスモーキーな感じ

今年の私は精神面においてけっこう最高だった、確実にメンヘラではなくなったような感じがする。私も昔はメンヘラだった、絶望とクソッタレ社会が口癖だったからな。現実がつらすぎた、己が弱すぎた…。でも今はつらい現実に対抗する術を身に付けたのでメンヘラから足を洗った。大人になったのだ!生きるのが楽しい。

一昨日から一枚絵を描いてるんだけど、目の前で描かれていく絵を見て「うわ私だ…」って思うのが楽しい。インターネット上の文字列に精神年齢が現れるのと同じように、絵には自分が現れている。当たり前なんだけど。

漫画も楽しい、自分の人生でやりたかったけどできないことを追体験できるのがヤバイ。ていうか漫画の方が好きだなやっぱ、名刺もらったのがすごくうれしくてpcの真ん前に貼って緊張感を高めている。来年は今の仕事を辞めることになりたい。

圧倒的意識

今日は美術の先生に一昨日の事件の話をしてきた。私はもう生徒じゃないのに普通に仕事の合間(生徒に描かせてる間)に付き合ってくれるいい先生である。

B社の名刺を自慢したら「なんか王道過ぎて合わなそうだし、そこはもともと色んな人に声かけるとこだからもっと自分に合う雑誌探したほうがよさそう」と言われ真顔になる。他にも似た漫画を挙げながら色々な提案をしてくれて、編集者かなって思った。私の、対今回の漫画がウケなかった人用作戦「伏線を張って張って回収」の全貌を明かしたら「まあ映画の常套手段だけどね」とバッサリいかれる。でもまあやったらいいんじゃない的な感じになったのでやる。

来年の賞のやつは3/30締切なんだけど、1月にまた編集者に見てもらえる機会があるのでまずは二つ漫画を描こうと思う。漫画を描くことを日常にしないと私は駄目人間になると思うので継続したい。

普通視点強化急務

昨日11/15は編集者に漫画を見せるという大事件があった。目の前の人間に自分の漫画を読んでもらいそれのコメントをもらうというのは人生初で、この後の自分の状態が全く想像できない期待と不安みたいな感覚にまだこの歳でもなれる現実を誇らしく思う。

最初は、紹介文に「どうすれば面白くなるか丁寧に指導します!」とあったA社(一応名前は伏せる)。まず「会話と勢いだけですね」と言われ、確かにと思ったので少し笑ってしまう。「29ページあったら、何か事件が起こって、解決するくらいのページ数ですよ。それが会話だけで何も変わらないまま終わりましたね」と言われ本当にその通りだったのでここで確かかなり笑ってしまったと思う、私にとってそれは褒め言葉だったからだ。非生産性は実に無駄で最高にくだらないほど価値があると本気で信じている。「普通(常識)のラインを決めるツッコミの人もちょっとおかしい印象なので、『これ変だと思うんだけど違うの?え!?変なのは私…?』とか『作者と対話できる気がしない』などと読者を不安にさせてしまう」みたいなことを言われなんかここでも笑ってしまった。でも具体的にどうすれば良くなるかはちゃんと提案してくれて、すごく納得できたしまた描き直すんだけどその案は取り入れる予定。ウケなかったけど超いい人だった。

次B社。普通に大手なので多分辛口で高飛車だし(偏見)いいとこと駄目なとこズバリ言ってくれて話のネタになるだろうなーという攻めの気持ちで選んだ。読まれている最中「フフッ」的な空気音を捉え「あれ!?今笑ったのかな!?咳・くしゃみの音じゃないよな!?でもコイツはそういうスタイルのそれをするのかもしれない!?」と動揺を誘われる。閉口一番、「面白かったよ」と一言。私はとても素直なので超喜ぶも「最初に喜ばせておいたところを叩く手口か!?」という可能性を見出し警戒。「前半はキャラのことがよく分からなかったけど、後半だんだん見えてきた。後半の主人公のテンションがヒートアップするところから面白い。くだらないけど深夜のファミレスとか、部室話みたいな感じだ。部活で漫画のアテレコ皆でやったこと思い出したよ…。来年投稿漫画賞あるから狙っていきましょう」的な感じで名刺くれてネームをメールする運びになった。一番無いと思ってたB社が唯一褒めてくれるって私の人生ドラマチック過ぎる。あとなんか言葉のセンスが非常にいいと言われ家と脳内でこのセリフ振りかざしてる。

他C社D社と行ったけど二人とも「説得力がないし感情移入できない」みたいな感じだった。持ち込み漫画で言われがちなことランキング一位の「絵が下手」を誰にも言われなかったことも自慢しておきたい。自分では中の下くらいの評価なんだけど(好き嫌いは別として)(自分の絵は大好き)あんまり画力関係ない内容だからいいのかもしれない。

今までこの持ち込み漫画を完成させることだけが目標だったけど、また来年の目標に繋げることができて描いた甲斐があった。批判や忠言も、3/4でそう思う読者が大半であろうことが分かったのでここを如何に読ませるかを考えるべきだと思うし、現にもう策は考えたのであとはどう具体的にしていくかを考える。また話を考えられるのがうれしいし、こんなに楽しいなんて私の人生輝いてると思う。次はACD社のあいつらにも面白かったと言わせたい。

今回の持ち込みのために描いたから評価をもらえたことはもちろん大事だけど、一番重要なのは私がこの漫画のキャラ達を好きになれたことだと思う。これは実際に描かなければ得られない感覚で、自分の作った人格がちゃんと脳内にインストールされた実感が確かにあって、それはそれは素晴らしく豊かなものなのだ…。漫画を描く人ならば誰でもこうなるんだろうか?

人生別にクソッタレじゃないな

絶賛原稿ハイで自分の漫画超面白いし絵もサイコーって感じでいくらでも描ける謎のハイパータイム来てる。今日は今んとこ14ページペン入れできてまだやれるこのポテンシャルの高さよ。あの~~~ほんと初歩中の初歩なんだけど、ペン先って使う前に火であぶんないといけないそうですね?私は今までその儀式をしていなくて「思った線が引けないなあ??」とずっと疑問アンド不満だったのですが付けペンを使い始めること2年目にしてようやく解決しましたよね。一度ほんの少しあぶって描いたら最高で「もっとあぶったらもっと最高かな?」と思ったが最後なんかインク乗り過ぎて線が太くなっちゃう感じになった。いただけない。

今まで創作で男出すと私の性癖だだ漏れかな?とか「この描き方…ひょっとして某BL描いてた人じゃない?」とか思われネット掲示板に検証画像を貼られ盛大にdisられるのではないかととても不安だったんだけど、やっぱ男の子描くのは楽しい。なんか我ながら萌え的なものを感じる。でも「あっこいつ女より男描く方がノリノリだな」とか見てる方はなんとなく分かっちゃうもんだと思うんだけどそこはあんまバレたくはない。

使わないときでもいかに刃を研いでおくかが大事的なコラム的なもの読んだのを思い出して、常に漫画的なものを描いてる状態にしておくのがいいと思った(毎回思ってるけど忘れる)。漫画を描く日常を送ってると(仕事の日でも朝ちょっと進めたり)、なんていうか物を見る目が研ぎ澄まされていくのを感じる、ほんとうに!時間の使い方も上手くなるし頭で色々考えるようになるしちゃんとした人間になれている感じがするし、こういう自尊心の高まりは精神衛生上健全だしつまり健康ということで、私の健康力が如実にアップしているというのは、なんかもう、最高ということ…。気分がいいな。漫画を描くことは確実に健康増進に繋がってんな。日曜が楽しみだし生きるのも楽しい。

今月15日に漫画を編集部の人に見てもらうことに私の中でなったよ

バラエティ的な番組で、芸大油画科の天才とか呼ばれてる青年についてなんかやってたのを偶然見たんだけど、その青年の作品は写実というよりは抽象っぽい作風が多く、タレントなども「おおう…」って反応でなんとなく私が嫌な気持ちになってたら、今度はタレントたまたま目についた超写実的な件の青年でない人の絵を「すごいねー!」「うまいねー!」と褒めちぎっており本格的にクソみたいな気分になった。

写実がクソというわけではないけど、でも、写実ってある程度正解があるじゃないですか。本物があって、より本物らしくさせるという意味での独創性はあっても(私感)、その「実物」と「より実物っぽい絵」の振れ幅は、抽象画の「実物(実感)」と「より実物っぽい絵」とはやはり比較にならないと思うのです。

普段絵を描かない人にとっては、写実的な絵って「分かりやすく上手い絵」だと思うんだけど、だとしたら何故この青年はこうも評価を受けているのだろうという発想にならない?「私には理解できないんだけれども、何故このような表現に至ったのですか?」とでも聞いてみたらいいのにそれができないというのは、素直さがないというか、一度心をまっさらにしてものを見ることができない人なんじゃないかと思ってしまう。まあテレビで大勢の人間と協調して長いことやってる人はそうなってしまうものなのかな。

そう言っておいて私も別段芸術に精通してるわけではないけど(先日も予備校のワークショップで皆絵画の話をしてるのに私とその相手だけ漫画の話してた)、単に抽象画と写実画のテレビ的扱いのバランスの悪さが気になってなにか言いたくなった。勝手にストレスを溜めていってる人たちのことが少し分かった気がする。彼らはなんか素直じゃないんだ、いつも人にどう思われるかとか自分のプライドのことばかり考えてるように私には見える…まあテレビだからってのもあるけどそればかりではなさそう。

ある程度機械のように動ける人間になりたいって最近よく思う。ちょっと精神的に(意志かも)弱いところがあり、その精神や意志の弱い行動によって自尊心が傷付きストレスが溜まるという負の連鎖が観察されており、これはよろしくない、対策を講じる必要がある。具体例として私は大部分の市販のパンやお菓子を食べたくない(だいたいまずいし健康に悪いから)と思い込んでいる人間なんだけど(強迫観念まではいかない)、精神が参っているときにそれらを家族が買ってくると食べてしまいこれがものすごく辛く悲しく救いようがなく地獄を見る。自分で金を出して買うことはまずあり得ないんだけど、家族が買って家に置いてあると食べてしまうのが明らかに自分の意志の弱さに起因しており辛い。私の見えるところに置かないよう進言すれば解決するけどたまに私の食べられるお菓子もあるので言えなかった、でも言うことにした(解決)。

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UFOキャッチャーの飴版みたいなやつ小さいころよく姉とやってて、なつかしいな、ちょっとだけやるでと思ったら800円つぎ込んでいた。超楽しかった、またやると思う。

大和言葉の本

おい…。なんか読書してたんだけど、

「扉」は「戸の片(とのひら)」の意。「片」とは「薄くて平らな形状の物」のこと。「花びら」「札びら」「ひとひらの雲」などのひら。扉も、こうしたひらひらするものの仲間だと思うと、ちょっとかわいらしく見えますね。

とか書いてありワクワクしてしまった。ワクワクっていうのはあれかな、「何かが湧き上がってくる」の「わく」からきてんのかな。でもそれならば「ワキワキ」でもよかったような気もする。「ワキワキ」だと「ワクワク」と「ウキウキ」の中間みたいな感じだ。

「わくわく 由来」でググったらやっぱ「沸く」からきてるみたい(「湧く」ではなかった)。ちなみに「うきうき」は「浮く」からきてた。私はワクワクの方が好きだ。

言葉みたいな曖昧でモヤリとしたものをどうにかして整理し順序立てて誠実に公平に説明しようとしてくれる人やもの(その分野の研究者や辞書など)のこと大好きなんだけど。こうも人間の生活に当たり前に浸透しきっているのに(この思考の大部分でさえも)、実は皆少しずつ違う認識でこれらを使っていて、そのちょっとした差に一喜一憂していて、その差は別個体である以上完璧に埋めることはできないけど(そもそも埋まることは正しくないし)、それでも認識の円と円の重なる部分というのはあって、そこを慎重に見極めて取り出すっていうは本当にすごいことだ。「なんかこの言葉の意味自信ないなー」ってときに調べて、寸分の狂いなくピッタリした説明を返されるとすごくスッキリ爽快のち安心だもの。曖昧なものをシャキっとできるの気持ちいいよね知ってる、シャーペンでガリガリ当たりとったりしながららくがきした絵をちゃんとペンで一本線にして消しゴムかけるの超快感だから知ってる。背景のパースだとか定規だとか全部無視したら漫画描くの楽しいので超よかったです。