承認欲求について書こうと思った結果

つくづく人間が生きるということはどうしようもないと思う。個人的に「生きること」が「美しいこと」であるという認識は、「現実はそうではないからそう思い込みたい」という逃避からくる誤りだと思っていて、耳触りのいいことばかり言われると気が狂いそうになる(しかし人間以外の生物の生き様はとても面白く美しいと感じるのでこれからもがんばっていってもらいたい)。

しかし、だんだんそうとも言えなくなってきた。私も一応20年以上は生きてきたのだけど、生きていくためには、どうしようもなく辛く悲しい現実の中で自分自身を奮い立たせていかなければ病気になり死んでしまう、そこで上手な嘘が必要になってくる。ここで間違っても「本当の自分」の類を探してはならない。それもまた死んでしまう可能性を孕んでいる。長く生きていくために必要なものは、先を見通し、危険なものを見極め、あらかじめそれらを排除していくことだ。それができたらあとはそれなりの楽しみを見つけておけばよろしい。

最近は人生の難易度が下がりつつあるのを感じる。以前は毎日死んでしまいそうになっていた。この状態を手放しで「良い」とは言い難いのだけどまあ楽であることは確かで、こんな楽でいいのかの方が逆に不安だ。心の底から安定を求めているのに、ひとたび安定し始めると刺激を求める。自ら波を作り出している。波は不安定だ。不安定は生きることで、安定は死だ。病院の心音を測る機械が波状なのはすごく納得だ。生きることと波にはなにか秘密があると思うし、ひょっとしたら海と関係があるのかもしれないと思うとワクワクしてしまう。