人のブログ読んでるとじゃあわしもとなる

当たり前のことに頭を悩まされている。人は皆一人ひとり違い色々な考え方のもとに生きているので、相手とうまく付き合っていくということは互いの歩み寄りが不可欠である、というもうなんか死ねってくらい当たり前のこと。でも私は付き合う人間の種類が片手以下なので大多数には当たり前の障壁でも今まであまりぶつからずに生きてこられたのだ、ここでどうにかして経験値を稼いでおかなければいけないような気がするし、他人との問題が立ち現れるというのもけっこう面白いかもしれないとも思っているこのストライクゾーンの広さよ。単に意見をひとつにまとめる能力に乏しいともいう。

私に味覚がなかったら「味覚があるってすげー舌にそれを感知する器官が付いてるなら普段はなんの味がしてるんだ?口味かよ!?」と思うのと同じだろう、紫外線を感知できる人にとっての世界の色って。鼻は常ににおいを拾っているけどなにも大したことじゃない、耳も肌も同じだ、目は少し違うかな。それでも今見てる色以上のものを想像すると、どうしようもなくワクワクしてしまう。こんな素晴らしい色が既にあって、パール感とかメタリック感とかの多様な質感とのバリエーションを楽しめるのに、それ以上があるなんてどれほど最高な感じだろう。いつだって、今の自分のそれ以上を考えるときは面白い、想像力や理想は人間を健康にするという確信がある。

海を見ると毎回感動してしまう、こんな広いのかよ!って。気持ちがいい。他人に対してもそういう風に見られたらいいんだけど上手くいった試しがない。そもそも試す数が少ない。

ジョギングとても気持ちいい。体重が減るほどは走ってないけど走っていると調子がいい。全力疾走が特に気持ちいいんだけど、それをすると子供の頃を思い出す。私が小学生の頃の移動は走りがデフォルトだったし他の子もだいたいそうだったと思うのだけど、中3くらいの頃「そういや最近全然走ってねーな」とふと気付き、私は子供ではなくなってしまった…と感傷的になったことを思い出す。わざわざ見上げて真上の空を見ることが少なくなったことに気付くときも「そうだ、私は子供じゃないんだ…」と思う。二大子供じゃなくなったことを思い出す行動だと思う(語呂が悪い)。

できなくなったこと、分からなくなったこと、消えてしまった感覚。それらについて考えるとどうしようもなくやるせない気持ちになるが、なくなるという現象は元来そういう気持ちを呼び起こすものだ。

ずっと見てきたアニメが終わってしまい悲しい。この作品に出会って人生が変わった。でもさ人生が変わったからといってなんなんだって感じ。それに出会わなくたってどうせ「いい人生!いい人生!」って言ってんじゃねえのかよみたいな気分になる。私が生まれなくたって私じゃない誰かは生まれる、私より一歩遅かった精子が受精するだけのことだ。そしてそいつはもっと面白い奴だったかもしれない。今日すげー思ったんだけど、自分を自分一人で肯定できるようにならないとだめな人生になる気がする。私はそれがあまり得意ではないのでどうにかして克服するのが急務だと思う、まあいいところもけっこうあるけど…。