物事を意地で切り抜けようとしても上手くいかないという話をします

同ジャンルの人が活動休止を宣言した。

何らかの才能がある多くの人がそうであるように、その人にもアンチがいた。アンチはありとらゆる批判をし、被害者はそのひとつひとつを重く受け止めたのち、あたかも「そうではない」とでも言いたげな行動で反応しているようにうかがえた。

私はそのとき、この人もう長くないなと思った。人が人を嫌うのに、本当は理由なんてロジカルなものは存在しないからだ。嫌で嫌でどうしようもないが、なにかもっともらしい理由がないと他人は聞く耳をもってくれない、他人が聞く耳をもってくれないと、自分と一緒に「嫌だね」と言ってくれる人がいないということになってしまう、これでは辛い、私がこんなにも嫌悪感に苛まれているというのに。そんな嫌悪感先行で無理矢理手繰り寄せられた飾りだけの建前にいちいち反応しているようでは、自分の創作活動が本来の目的(作り出す楽しさとか)とすり替わるのだから、辞めたくなって当然と言える。

きっとこの被害者は、アンチに認めてもらいたかったんだろう。どんなに嫌いだと言われても、がんばればきっと「好き」とはいかないまでも、がんばりを認めてはもらえるのではと。だがそんなことはもちろん無い。無慈悲であるが感情とは、特に嫌悪感とはそういうものであることが多く、嫌いな奴が何をしていてもそれはただただ不快でしかないのだ。

根源的な感情は、他人であっても自分であっても覆すのが非常に難しい。今回の件で被害者もそれを理解しただろう、自分ももっともらしい理由で根源的な感情を覆せなかったのだから。